親の財産も当てにならない私のようにしがないサラリーマンにとって、家の購入は一生に一度の大仕事である。しかも、現金一括購入など夢のまた夢・・35年もの長期ローンを組んでやっと我が家を手に入れた。バブルが弾けて6年も経過していたので購入した当時の土地価格は“底値”と思っていたが、家を建てた10年後、付近の土地価格はさらに半額以下まで落ちていた。悔しかったが、既に購入した後だし、投資のために買った訳ではないので余り考えないようにした。バブル全盛期時代に家を高価で購入した人は更に大変な思いであったろう。

 某国に来て会社の社員が皆、家を購入するために並々ならぬ努力をしているのを知った。某国人にとって「家」は、日本人以上に重い存在であり、夫婦で働き親戚から借金してローンを組んで何とか家を手に入れる。家!これを手に入れる為に他をすべて犠牲にして生きているような人も多かった。独身男性は家がなければ嫁ももらえない。親は息子のために借金をしても頭金を用意する。金に余裕がある人は、男児が生まれればこの子の将来のために家を購入しておこうなんて、ものすごい将来の事まで考える。

 15年前の北京(2003年頃)、比較的安い郊外のマンションで78000元/1平米ぐらい。1平米が1万元を超えればちょっと高級感のある外観と周辺環境のマンションが買えた。85100平米ぐらいの平均サイズで 高くて100万元(当時レート1500万円)、内装工事に10万元(150万円)かければ超豪華内装も出来た。しかし、一般サラリーマンの給与は手取り20003000元、夫婦共稼ぎで世帯5000元(75000円)位だから生活費を考えれば、100万元を超えるマンションは普通には買えない。今住んでいる住宅が高く売れる見込みがあるか、または親の手助けでもないと無理である。農民工は月収入が300元~1000元なんて人が多いから、都市部のマンションなんて「夢でも見てはいけない!・・」って言われてました。その頃の某国首都の超高級マンションと言われるものが、1平米で3万元を超える価格帯であった。

 会社の幹部クラスが購入していた住宅は、購入総額で5070万元のものが多かったと記憶している。ローンの長期金利は、6%を超える時代であったが、既に不動産ブームに火が付いていた。造っても造っても完売するマンションの価格は、毎年10%近く値上がりを続け、2010年には78000元/1平米だったマンションは3万元/1平米代に。1万元/1平米のマンションは、5万元代/1平米まで値上がりして、もはや某国首都では外国駐在員でも買えない価格帯まで跳ね上がった。並行して銀行ローンも金利78%以上に吊り上っていた。

 でも7年でマンション価格が5倍以上になっても、給与は2倍程度までしか増えていないから、普通のサラリーマンにとって益々高嶺の花となってしまったのだ。

 公務員や大きな国営企業で働く人は、その組織が安い住宅を提供してきたので住宅には困らないが、大きいマンションに住みたい人は、その安く買った住宅を高値で売って、少し郊外に高いマンションでも買う事ができる。両親の内、片方でも公務員なら親名義の住宅を子供に引き継げるので余裕で一戸多く持つことも出来た。それを抵当にマンションに投資もできる。全国津々浦々の金持ちは、首都に是非家を持ちたいと財産を惜しげもなく投入する。

 郊外に自分の農地(もちろん私有ではなく耕作地の使用権)を持っていた農民は、政府の土地購入時、補償金とマンションの部屋を23戸もらって、その余剰のマンションが値上がりすれば大儲けとなり、今度は自らがマンションに投資する。投機的需要が高まって一層過熱するのである。

 農民工や地方から出てきたサラリーマンは、どんどんと値を上げるマンションは、別世界の事のようにしか見えない。持てる者はドンドン富み、持たざる者はドンドン貧する。別の章でも書いたが、こんなバブル状態が弾けずまだ続いている。

 T市は、首都ほど高騰していないが、それでも値上がりのスピードは速い。友人の借りているマンションは、100平米ほどだが、仮に購入するとすれば中古価格で300400万元(4500万円~6000万円)もする。外観は、13年間一度も再塗装、補修などが無いのでスラムマンションのようだが中は小綺麗である。このマンションの13年前の販売価格は、30万元(450万円)だったそうである。何と10倍の価格になっているわけだ。3戸に1戸は借り手もいない空家となっているが、投資目的で放置されているのだ。ちょっと値を下げれば買い手はいくらでもいるらしい。

 私は某国に家を買おうなどとは毛頭考えてもいないが、こうした社会現象の中でネットを調べると同一エリアに平均価格を大きく下回る安いマンションが沢山ある事に気が付き、ちょっと調べる事にしてみた。休みを利用してそうしたマンションが何故平均価格の半分以下なのか直接販売センターに行き聞いてみた。そこで初めて知ったのが、某国のマンションには「大産権」マンションと「小産権」マンションの区分けがある事だった。大産権マンションでも使用権利期間が40年、70年などと長短がある。また「放権房」という特殊なマンションもあった。

 某国のマンションは、所有権ではなく「使用権」を買う。使用権には「物件の使用権+土地の使用権」であり、政府の公式認可の元で販売されるマンションは、通常70年の「物件の使用権+土地の使用権」が付いており証書が発行される。この証書が農民が「都市戸籍」などを得る為にも大きな力となる。店舗やオフィスなどと混合の商業マンションの場合、40年の「物件の使用権+土地の使用権」となる場合が多い。その分 部屋の価格は安い。では、70年経過した後はどうするか? この答えは誰も知らない・・・恐らくマンションが使える状態なら追加料金を払って延長できる様にするのであろう。この「物件の使用権+土地の使用権」が正式に付いているのが大産権マンションと言われて、標準の価格で売られる。価格も政府がある程度コントロールしている。

 では、やたら安いマンションは?と言えば・・・それが小産権マンションである。これは、政府の正式認可の無いマンションで、有休農地を建築業者に委託して農民が建設したものや、村が村所有の土地に投資して建設したもの、企業や学校が管理地域内の土地にマンションを作って販売したものを指す。公式な国の土地使用許可が無いのである。つまり、ある日突然「このマンションは違法建築であるので撤去する」と言われても、権利書を盾にして補償交渉など一切できない。言ってみれば“危ないマンション”なのだ。この”危ないマンション“は、外形では分らない。外形は、普通のマンションと何ら区別できないほど立派なものが多い。でも住民がお金を出して購入したマンションに、政府が急に「出て行け」と言えば暴動になるから、そうした事例はあまりないらしい。

 また、政府が農地などを強制収容して軍用地に転用したり空港をつくる時、農民や周辺住民に土地使用権を金で補償し、住居としてマンションを建てて、その部屋を幾つか与える事で住いと財産を保障とするケースがある。農民は、1戸部屋があれば良いので、23つもらえばそれを金に換える事が出来る。しかし、不動産の権利は簡単には買い手に移行できないそうで「将来移行できる時は、移行します」と口約束をして、個別販売するものを「放権房」と呼ぶらしい。これも 怪しい約束であり権利を移行できないケースも多いそうだ。ただ政府から出て行けと言われることは無いので、権利証が無くとも売買が成立するようだ。

 政府とすれば全国に6000万戸も売れ残っているマンションがある中、こうした未認可マンションが更に増えると、現状の売れ残り認可マンションが消化できず困るので何とかしたいのだが、手を出せないというのが実態らしい。日本では例えば100戸あるマンションを販売開始して、5戸以上売れ残れば先ず赤字になるが、某国では半分売れれば元は取れる。内装工事が無い為コストセーブ出来ている事も原因であるが、販売価格はバブル高で暴利を重ね着させているからである。未認可マンションが次々に出来るのも、庶民の求めている価格帯で需要があり、しかも土地の使用権を持っている団体が地方政府の役人とつるんで儲け仕事をやりたいからである。

 売れ残りのマンションと投資目的で空家となったマンションの総数は凄い数となり インフラ投資の莫大な無駄使いが発生している。まだまだ家を持てない某国民が多いのに・・・これらを解消する方法として検討されているのが、不動産税である。今は、空マンション10戸所有していても 何ら税金はかからないし物業費(管理費)も払わないで済む。だから現金と同じようにマンションや別荘が幾つでも持てるが、日本のように2戸目3戸目から税金が連動して上昇する税制度を導入すれば、空家は価格が下がり減っても行くだろう。でも、それを決める役人自体が沢山マンションを所有する立場だから、当然の事ながら法案は中々通らないのである。

 この不動産税の導入は毎回導入を検討されては没り、検討されてはまた没りを繰り返してきた。もし、そんな税制を導入すれば政府の財政は豊かになるが、政府を構成している役人自身は財を失うし、それどころか不動産のバブルで持ちこたえていた経済が根底から覆る大きなリスクが心配される。

 某国では庶民が持つ小金の投資先がない。株式も銀行利子も期待できない。10万元20万元の財産をそのままタンス預金にしても10年後は、物価の高騰で現金価値が下がるのである。そのためお金を借りてでも、唯一今まで大きな値崩れを起こしていなかった不動産に賭けてしまうのである。某国で不動産バブルが崩壊しないのは、人が使わないマンションでも現金と同様に儲けの為に流通させているせいなのかもしれない。                   (2016年11月30日記)

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ボクの某国論
其の二十一 人生で一度の買物